有機塩素化合物や重金属に代表される有害物質は、生物体内に取り込まれると排出されにくい性質を持っているため、一旦、生態系に取り込まれると食物連鎖を通して高次生物になるほど、また長寿命生物ほど、これらの物質を高く蓄積する傾向があります。
鯨類は、海洋生態系において高次生物の一員を成し、また寿命も比較的長いことから、これらの有害物質を蓄積することが指摘されてきました。
しかしながら、鯨類と一言でいっても、シロナガスクジラから小型のネズミイルカまで80種以上が含まれ、その種類や生息している海域が異なっていること、また同一種であっても性や年齢によって棲み分けしているなど、その分布様式は多様です。
利用している餌生物もまた多様で、プランクトンやオキアミから魚類、イカ類、そしてアザラシや鯨類などの海棲哺乳類と幅広い食性を持っていることから、これら有害物質の蓄積レベルも検出できないような低レベルから高いものまで様々な濃度を示しており、鯨類体部位によっても異なっています。
私ども財団法人日本鯨類研究所は、政府の許可を受けて南極海や北西太平洋において鯨類捕獲調査(JARPAやJARPN、JARPNII)を実施しております。
別のページにも詳細に説明しておりますが、この調査は国際捕鯨取締条約の締約国政府の権利として明記された自国民への特別許可の下で実施されているものであります。
またこの条約では捕獲した鯨体については可能な限り有効利用を図る義務を明記しており、このため、本調査でも赤肉や本皮といった鯨製品を副産物として製造し、販売しております(得られた取得金は次年度の調査経費として使用しています)。
また、JARPAやJARPNIIの主目的の一つには、環境問題、特に化学汚染の調査研究があります。
これらの調査から得られた鯨体標本を用いて鯨類の有害物質の蓄積現象について環境化学的側面から研究を進めています。
そして得られた結果については、IWC科学小委員会や国内外の学術誌に報告しているほか、当研究所のHPなどを通しても公表しています。
この他、副産物として利用する場合には、上記の環境化学的な側面のみならず、食品衛生面からの検討も必要となってきます。
PCBや水銀といった有害物質については、厚生労働省が定めた魚介類の暫定的規制値があります(脚注)。
南極海のミンククジラの副産物は、国内市場の50%以上を占めており(後藤、2000; 藤瀬・後藤、2002)、日本国内の主要な鯨食品と言えますが、表1に示したようにこの製品中のPCBや水銀の濃度は、調査した筋肉や脂皮、腎臓においても、この規制値を下回っており、食品衛生の観点からも安全であると言えるでしょう。
しかしながら、北西太平洋の捕獲調査の副産物の一部には、残念ながらこの規制値を越えるものがありました。
このため、現在では、鯨の種類や部位、海域ごとに、これら有害物質濃度を調べており、これらを超えるような鯨種や部位を市場に流通させないように厳重な措置を施しております。
表1 南極海及び北西太平洋鯨類捕獲調査の副産物中のPCBs、総水銀及びメチル水銀濃度
例えば、マッコウクジラの赤肉には比較的高い水銀が蓄積していることから販売を見送っていますし、また、北西太平洋のミンククジラやマッコウクジラの皮(脂皮)類には脂肪成分とともにPCBが蓄積していることが明らかとなったため、そのままの形状での販売を避けています(皮類については、さらし加工などの脱脂過程により脂肪とともにPCBを除去することができることがわかっております。)
このような情報については、これまでも当研究所のホームページ上で公表してきましたが(プレスリリース 「捕獲調査副産物のダイオキシン類等について」や「鯨類食品における水銀汚染について」を参照下さい)、水銀及びPCBについては、さらに最新の分析データを公表することで、捕獲調査で得られた副産物における食品衛生上の安全性について理解を深めていただけるものと考えています。
水銀: 表1に示しましたように、水銀濃度は、南極海ミンククジラの筋肉で最も低く、水銀の暫定的規制値の約10分の1(平均)であることが判ります。
次いで北西太平洋のニタリクジラの筋肉であり、これらの腎臓が続いています。
また、北西太平洋のミンククジラでは、極くわずかの個体(638個体中8個体、全体の1.3%)で筋肉中の総水銀濃度が暫定的基準値をわずかに超えるものがありましたが、現在では同種の筋肉については全頭検査を行っており、最近の4年間の340個体の筋肉中の分析値は、全て厚生労働省の暫定的規制値を下回っておりました。
また、腎臓も総水銀では暫定的規制値を越えておりましたが、メチル水銀では規制値を下回っており、この結果規制対象には該当しないことになります(脚注)。
水銀は、鯨類の体内の中でも内臓(特に肝臓)や筋肉(赤肉)に蓄積されやすいことがこれまでの研究から判っていますが、これらの部位でも南極海のミンククジラや北西太平洋のニタリクジラでは汚染の度合いが低く、また北西太平洋のミンククジラの筋肉もほぼ問題ないと考えられます。
しかしながら、北西太平洋のマッコウクジラでは、腎臓や筋肉において、暫定的規制値を大きく上回っており、最高値は筋肉で4.6ppm、腎臓で11ppmにも達していました。このため、これらの副産物については、現在のところ販売を見送っております。
PCB:脂溶性の高いPCBは、これまでの研究報告から、鯨類体内の中でも脂皮など脂肪組織に蓄積されやすいことが判っています。
PCB濃度は表1に示したように、調査した4鯨種の筋肉中では暫定的規制値を大きく下回っており、特に、南極海のミンククジラでは規制値をはるかに下回り、PCBの汚染度は低いと言えます。南極海のミンククジラではPCBが高く蓄積しやすい脂皮中においても規制値よりも1桁低く、汚染を受けていないことが明確となっています。
また、北西太平洋のニタリクジラにおいても脂皮中のPCB濃度は規制値を下回っていました。
しかしながら、北西太平洋のミンククジラの脂皮や、マッコウクジラの脂皮では、PCBの暫定的規制値を越えていました。
そこで、下記のようにサラシ加工等によって有害物質を除去することにしました。
加工処理による有害物質の除去:
当研究所では、様々な加工法を用いて、これら有害物質の低減法を検討しています。
PCBは脂溶性が高く、生物体内では主に脂肪に溶けて存在しており、脂皮などの高脂肪含量の組織に含まれることが知られています。
PCBの低減法として有望視されているのは、特に、サラシ加工です。
この加工法は、主に尾ビレや背ビレなど締結組織の多いヒレを薄く切ってボイル等をして脂肪分を取り除いて食用とするものですが、この方法により脂肪分とともに、PCBなどの脂溶性の有害物質も取り除かれ、約10分の1まで濃度を減少させることができることが判りました(表2)。
そこで、PCB濃度が高かった北西太平洋ミンククジラの脂皮に関しては、このようなサラシ加工を行ったものに限定して販売しております。
マッコウクジラの脂皮も同様にサラシ加工をするか、あるいは煎皮にしています。
表2.北西太平洋ミンククジラ脂皮の加工(サラシ)によるPCB濃度変化
水銀については、ある薬剤を用いることによって、鯨肉(赤肉)から水銀を除去する方法のあることが判り、現在マッコウクジラを対象にして検討をしています。
おわりに
このように当研究所としては、有害物質を分析し、安全性が確認された個体の副産物のみを販売する方針で臨んでおりますが、その識別が充分確認できない場合には、安全のために販売を見合わせるか、または、サラシクジラ等安全な加工処理を施して販売しております。
また、現在、厚生労働省において「鯨類由来食品の有害化学物質によるヒト健康に及ぼす影響に関する研究班」が設置され、新たに鯨肉のガイドラインが作成されている最中であり、当研究所もこれに参加・協力しております。
今後、新たなガイドラインが作成されれば、これに従うことはもちろん、副産物の安全性につきましては、これまで以上に厳しく管理するよう努めてまいります。
脚注: 厚生労働省では、魚介類の水銀暫定的規制値は、総水銀量で0.4ppmとし、これを超えるものについては、さらにメチル水銀の分析を行い、0.3ppmを超えたものについて高水銀蓄積魚介類として対処することとしています。 また、魚介類のPCBについては、その暫定的規制値を、内海内湾魚介類で3ppm、遠洋魚介類で0.5ppmと定めており、鯨類の場合は、遠洋魚介類(0.5ppm)が適用されています。