「エコ」という名で象徴される環境保護の気運は、日本でも地球温暖化問題や石油価格の異常な高騰と相まって盛り上がるばかりだ。しかし、過剰とも思える環境保護のかけ声の中にも関わらず、一部の「環境保護」団体が熱心に展開する反捕鯨運動は、さっぱり一般市民の耳目に触れている様子がない。そう言えば、捕鯨の是非に関わる論争すら、一時に比べるとマスコミの話題にされることが少なくなって来たように思える。
しかし、昨年(2007年)末からこのかた、捕鯨に関わる問題はマスコミの間でにわかに熱を帯びて来ている。捕鯨の是非に関わる議論の話ではない。環境保護団体を自称するグリーンピースとシーシェパードの2団体が、一昨年(2005/06年)、昨年(2006/07年)に続いて、2007/08年第二期南極海鯨類捕獲調査(JARPAII)船団に対しても激しい妨害を仕掛けてきたからである。南極海における彼らの妨害活動が、いかに暴力的かつ無分別であるかについては、拙稿(石川2006、2007)を参照されたいが、本年の妨害事件における大きな特徴は、これまでと異なり日本政府が積極的に調査妨害の対応に乗り出し、20年を越える鯨類捕獲調査史上初めて、海上保安庁から派遣された保安官が警護のために調査母船に乗船していた事であろう。また本年は、上述の妨害団体のみならず、捕獲調査に激しく反対する豪州政府自身も「監視」と称して大型船を送り込んできた。
筆者は2007/08JARPAIIにおいて調査団長として調査の指揮を執り、同時に過激な反捕鯨団体達を相手とする過去最大級とも言える「戦争」の最前線に立つこととなった。本文は、2007/08JARPAIIにおける反捕鯨団体の妨害の実態及び豪州政府の行為を報告すると共に、「環境保護」団体を自称する彼らが捕鯨に反対する事の矛盾について考察するものである。
グリーンピースのエスペランサ号(以下E号:2076トン)は、2007年11月5日に台湾の基隆(キールン)を出港した後、インドネシア方面へ向かうと表明していたが、南極海鯨類捕獲調査船団が出発のため下関に集結した11月16日に突然、調査船団の追航を宣言して宮崎県沖で待ち伏せを行った。調査船団は、海上保安庁や水産庁の協力を得て、E号の妨害を避けて無事に南極海へ向かったが、E号もニュージーランドのオークランド港を経由して、12月19日に調査船団を追って南極海に向かった。
その後、E号は調査船団の探索を続けたが、2008年1月に入っても発見することが出来なかった。しかし、調査母船日新丸が調査海域付近で発生した漁船の事故の救助活動に参加した後、グリーンピースはシーシェパードともども調査船団の位置をそれぞれ把握し、E号は1月11日ついに日新丸を発見した。
グリーンピースは、表向きはシーシェパードとの協力関係を否定しているものの、過去の行動から両者の緊密な関係は明らかである。彼らは一昨年の2005/06年調査に、調査母船日新丸にアークティックサンライズ号を衝突させるなどの暴力的な妨害をシーシェパードと同時に行った他、調査船団の位置情報をシーシェパードに流し続けた(石川2006)。我々にとって、E号に船団を発見されたことはシーシェパードに発見されたことに等しく、両団体による暴力的な妨害を同時に受ければ、一昨年調査時のごとく大きな事故が発生する危険がある。安全を最優先との考え方から、やむなく日新丸は調査を中断して調査海域を離脱 する事を決定した。
E号は、妨害団体との接触を回避して移動する日新丸を、15日間にわたり執拗に追航した。この間、日新丸が1月22日にタンカーと横付けして補給活動を行おうとしたところ、E号は「南緯60?以南での給油活動は南極条約に反している」として、エンジンボートを両船の間に強引に割り込ませて接舷を妨害した (写真1)。二人の活動家を乗せたボートは、日新丸からの再三の注意と警告を無視して日新丸とタンカーの間に侵入した挙げ句に、ワイヤーに絡まって動けなくなった(写真2、3)。ボートは日新丸とタンカー両船の助けを受けてようやく脱出する事が出来たが、この危険な状況の中、グリーンピース側は仲間を助けようとするどころか、もう一隻のボートにカメラマンを満載させ、笑いながら安全な場所でこの様子を撮影していただけであった(写真4)。
写真1. タンカーと調査母船日新丸の間に入り込んだグリーンピース(GP)のボート。 |
写真2. ワイヤーに絡まったボート(手前)を安全な場所から撮影するもう一艇のボート(奥)。 |
写真3. 必死になってワイヤーを外そうとするボートのクルー。 |
写真4. 仲間が危険な状態にもかかわらず、グリーンピースのメンバーは笑顔で撮影を続けた。 |
実は、彼らが妨害を正当化する理由として主張する「南緯60?以南での給油活動禁止」なる話は、南極条約はもとよりどの国際条約にも規則として存在しない。そもそも実際このような規則があれば、南緯60?以南の南極大陸にある各国の南極基地は飛行機も雪上車も使えなくなってしまう。もっともこの点について はグリーンピースも最近になって気づいていたようで、以前は単に条約違反だと言っていたのが、最近は「条約の精神に違反している」と微妙に言い回しが変化している。しかし、筆者が以前にも指摘したように、2005/06年の鯨類捕獲調査では、当のグリーンピース自身が妨害活動の真最中に南極海で洋上補給を行って いる(石川2006)。彼らにこの点を質せば、おそらく「自分達は南緯60?以北で補給を行った」とでも弁解するのであろう。しかし、もし彼らが南極条約の「精神」なるものを尊重して他者を批判するのであれば、自分達の補給地点がたとえ南緯60?以北であろうと、南極収束線すなわち暴風圏より南であれば、そこは南 極海である事をまず知るべきである。
豪州政府はもとより強烈な反捕鯨国であるが、これまで政府による捕獲調査への直接的な干渉行為は無かったと言える。しかし、2007年の豪州総選挙の結果、日本の調査捕鯨阻止を公約に掲げた労働党のラッド政権が誕生し、豪州の反捕鯨政策はこれまで以上に強硬になった。豪州は南極地域に領土・領海権を主 張する数少ない国の一つである(国際的には認められていない)。労働党は以前より、「自国の200海里経済水域で違法に操業をする」日本の捕獲調査船団に対し軍艦を派遣して拿捕するべしとの強硬な主張を行っていたが、政権奪取後はさすがに日豪関係を重視したのか発言が次第にトーンダウンし、最終的に「日本 の捕獲調査を国際法廷で裁くための証拠収集をする」として非武装の監視船を派遣する事とした。
豪州政府は、税関に所属する漁業監視船オセアニックバイキング号(以下OV号:6700トン)を2008年1月8日に出港させた。OV号は、後ほど詳述するが、調査船団の第二勇新丸に不法侵入したシーシェパード活動家2名を、日豪政府間の合意に基づき引き取った後、何ら法的な措置を取ることなくシーシェパード 側に返還した。その後OV号は、グリーンピースが日新丸のタンカー補給を妨害した際にも現れ、以後E号が燃料切れにより調査海域を離脱した後も調査船団の追航を続けた。調査船団は、グリーンピース及びシーシェパードが調査海域から離れた1月31日から、OV号の「監視」下で捕獲調査を再開した。OV号とそ の搭載ボート2隻による「監視」活動は、妨害団体に比べれば抑制された行動であったが、捕獲活動を行う調査船に大型船で至近距離をつきまとう非常識な行動は、しばしば調査船団各船と衝突の危険を生じさせた(写真5)。OV号は2月12日まで船団につきまとったが、この間に調査船団各船(母船及び3隻の目 視採集船)の船長は、OV号に対して、危険回避のため無線による直接警告を10回以上も行った。
写真5.
調査船(手前)のすぐ近くをつきまとうOV号(奥)と搭載ボート。
豪州政府は、OV号が撮影した、調査母船に引き上げられる2頭の鯨の写真を公表し、「授乳中の親子を殺した。」「日本は調査と称して鯨を虐殺しているだけだ。」などと、メディアを使って感情的な激しい批判を展開した。しかし、「親子」と豪州政府が指摘した鯨は、実際にはランダムサンプリング法(標本を無作為に選択する調査手法)で捕獲された2個体に、たまたま体長差があっただけで、DNA分析を含む生物学的な調査結果は、この2頭が授乳中の個体でもなければ血縁関係も無いことを証明している。報道によれば、豪州の「専門家」が写真を見ただけで親子であると断定したそうだが、豪州専門家のたぐいまれな心 眼の程度はさておき、科学的根拠の欠落した馬鹿げた批判は、日本が鯨の生物学的調査に致死的手法を使う正当性を逆に証明している。ちなみに調査船団は、OV号の「監視」下においても、目視調査やバイオプシーによる標本採集など多くの非致死的手法による調査を行っていたが、豪州政府はこの点に関してまっ たく言及していない。豪州政府は常々、鯨の調査は非致死的手法を用いるべきだと主張しているが、自国の主張に都合が悪い事実を無視しているのか、「監視」したとする人々がそもそも鯨の調査手法に関する知識を持っていないのか、どちらかであろう。
シーシェパードは、一昨年、昨年に引き続き、南極海鯨類捕獲調査の実力阻止を宣言していたが、2007年12月5日にスティーブアーウィン号(以下SI号:1017トン)を豪州メルボルンから出港させた。SI号は、昨年(2006/07年)妨害時はロバートハンター号というグリーンピースの創始者に由来する船名であったが、今回の豪州出港の際に、シーシェパードの後援者で豪州では有名な動物愛護家(故人)の名前に改名したものである。SI号は、一旦は南極海まで来たものの、エンジンの故障のため12月24日にメルボルンに戻り、2008年1月1日に再出港した。
SI号は、南極海でグリーンピースと同様に調査船団の探索を続けていたが、やはり日新丸が救助活動に従事した直後に調査船団の位置を特定した。SI号は、日新丸がグリーンピースのE号の追尾を回避している1月15日に、タンカーから補給中の調査船団の他船を発見し、14:00(日本時間)に目視採集船第二勇 新丸を2隻のボートで襲撃し、酪酸と粉末薬品の包みを多数投げ込んだ他、スクリューを狙ってブイをつけたロープを何度も投入した(写真6−8)。襲撃は約2時間後に一旦止んだかに見えたが、再びやって来たボートから、突然2名の活動家が第二勇新丸乗組員の制止を振り切って船内に侵入した。SI号のボート は活動家侵入後も執拗に攻撃を続け、ロープを繰り返し投入した挙げ句に二人を残して去っていった(写真9)。
写真6. 第二勇新丸に酪酸の瓶を投げるシーシェパード(SS)の活動家。 |
写真7. 第二勇新丸乗組員は接近するSSに放水で対抗した。 |
写真8. 第二勇新丸のスクリューを狙ってロープを曳航しながら船首を横切るボート。 |
写真9. 第二勇新丸は不法侵入したシーシェパード活動家を一時拘束した。 |
不法侵入した2名の外国人(英国と豪州)の処遇を巡っては、実は我が国の陸上関係機関の間でかなり揉めた。調査船団としては、すでに海上保安官が調査母船に警乗していたこともあり、なんとしても二人を逮捕(日本船内では国内法が適用される)して欲しいところであったが、そのためには拘束した不法侵 入者を早急に日本まで送る必要があり、その後の調査への影響が無視できない。不法侵入者の処遇に無駄な労力をかけずにさっさと妨害船に返してしまえとの意見もあったが、返すにしても襲撃をしてきた張本人であるシーシェパードのSI号と接触しなければならず、安全確保が困難である。結局、日豪政府間の交 渉で、1月17日に豪州の監視船OV号が二人を引き取ることになった(写真10)が、OV号は日本船を襲撃して不法侵入した二人を、何ら咎め立てすることなくSI号に戻してしまった。豪州政府は南極海を自国の経済水域と主張して監視取り締まりを行っているはずだが、日本の調査活動に対する犯罪行為に対しては、 侵入者のうち1名が自国民であったにも関わらず、まったく取り締まる様子がない。
写真10.
OV号のボートで第二勇新丸から移送される2名のSS活動家。
第二勇新丸乗組員は、船を襲撃して侵入して来た無法者達を縛り上げて倉庫にでも放り込んでやりたい気持ちはやまやまだったはずだ。しかし、彼らは暴力に対して暴力で答える代わりに、不法侵入者達をOV号に引き渡すまでの間、船室で保護し、食事や寝具のみならず風呂まで提供した。第二勇新丸乗組員達の シーマンシップは賞賛されるべき事だが、それも後に不法侵入者達が然るべき法的制裁を受けてこそ報われるというものだろう。
第二勇新丸が侵入者2名をOV号に引き渡した日の深夜(日本時間1月18日02:03)、調査船団から離れてSI号を追航監視していた第三勇新丸が、突然SI号搭載のボートによる襲撃を受け、確認されただけでも約10本の酪酸の瓶が船内に投げ込まれた。SI号はその後(シーシェパードによれば05:30)OV号と合流し、 第二勇新丸に侵入した2名の活動家を引き取っている。シーシェパードは、いわば行きがけの駄賃に第三勇新丸を襲撃したわけだが、シーシェパードもさることながら、このような連中に不法侵入者達をあっさり返してしまう豪州政府の対応振りも、非難されて然るべきであろう。
SI号はその後燃料が乏しくなり、2月2日に再度メルボルンに入港した。日本政府は豪州政府に対し、再三にわたりSI号乗組員に対する法的措置を求めたが、豪州政府はこれに応じた様子がない。SI号は補給の後に2月14日に再々度出港し、わずか10日間で調査船団を見つけ出した(計算上では船団までの最短距 離を航走したことになる)。SI号は2月23日に勇新丸を発見し、ボートで襲撃を試みたが、天候が急変して視界が不良になったため失敗に終わった。シーシェパードによれば、「逮捕状」なるものを持った活動家達を、再び強行乗船させるつもりだったらしい。
調査船団はSI号を避けて大きく移動しつつ調査活動を続行したが、SI号は、離れた場所にいる調査船団の位置を正確に把握して航跡を追って来た。船団の位置を求めて右往左往していた以前とは明らかに異なる行動である。そしてSI号は、3月2日ついに船団に追いついて姿を現した。日新丸は、船団の被害を最 小限に抑えるために、SI号の追航を受けながら単独で回避を行う事とした。
日新丸は、SI号の追尾を振り切ろうと全速で回避したが、3月3日未明に追いつかれた。SI号は、05:37(日本時間)に海賊旗や豪州国旗を掲げ、日新丸のあらゆる警告を無視して舷側数mまで接近し、07:10から約1時間の間に酪酸の瓶や粉末の薬包を多数投げ込んできた。攻撃は5回にわたり、投擲された薬 品類は合計100個程度と見られ、このうち少なくとも30個以上が船内に着弾した(写真11−13)。薬品の投擲は、当初は無人の甲板を狙っていたが、5回目の攻撃では船橋付近で撮影記録を行っていた人間を狙って来た。一連の攻撃で警乗中の海上保安官2名、日本鯨類研究所の調査員1名が、酪酸の飛沫により目に 軽傷を負った。SI号は攻撃を止めた後も、至近距離で日新丸の周囲を走り続けた。
写真11. 日新丸に異常接近するSI号と、それを警戒する海上保安官。 |
写真12. 日新丸に酪酸瓶を投擲するSS活動家達。 |
写真13. この日投擲された酪酸の瓶や粉末弾は計100発以上であった。 |
SI号は3月3日の襲撃後も日新丸を昼夜追い続け、3月7日に再び攻撃を仕掛けた。SI号は前回と同様に、12:15(日本時間)海賊旗の他にスポンサーの広告旗まで掲げた後(写真14)、日新丸の舷側数mまで接近して、酪酸の瓶(成分不明の液体が入った瓶を含む)及び粉末の薬包を多数投げ込んできた。攻撃は 12:36から約1時間の間4回にわたり、今度は最初から船内の居住区、船橋及び人間を狙って薬品の投擲を行い、海上保安官1名が成分不明の液体を直接浴びた(写真15)。また、船橋への薬品投擲を狙って異常接近するSI号は、しばしば日新丸と衝突寸前となった(写真16)。
写真14. 3月7日の攻撃時には、西オーストラリア州旗の下に、スポンサーの旗も揚げられた。 |
写真15. 日新丸船橋ウィング上の保安官(手前)に投げられた液体の瓶。 |
写真16. 日新丸の船首を至近距離で横切り、衝突寸前となったSI号。 |
日新丸に警乗していた海上保安官は、SI号に対し数度にわたって無線で警告を行ったが、攻撃が止まないため、音響投擲弾による警告に踏み切った。この音響投擲弾なるものは、空中で破裂して大きな音の出る手投げ弾で、いわば田畑の雀やカラスを追っ払う装置(爆音機と言うらしい)のごとく人畜無害な道具 である。しかし、これまで妨害に対する反撃手段と言えば放水しかなかった状況において、この音響投擲弾の効果は劇的であった。突然頭上で炸裂する音響投擲弾に、シーシェパードの活動家達は何が起こったかもわからず、頭を抱えてうずくまる者、腰を抜かして座り込む者が続出した(写真17)。長期間にわたる 妨害に鬱屈していた我々にとっては、まさに胸がすく思いがした瞬間であった。
写真17.
海上保安官の投げた音響投擲弾がSI号上空で炸裂し、耳を押さえる活動家たち。
SI号は、3月8日朝にも旗を掲げて日新丸に急接近してきたが、攻撃は行わずにそのまま離れて行き、3月15日にメルボルンに入港した。シーシェパードは、海上保安官の反撃の際に、船長のワトソンが銃で狙撃されたと主張して、胸部から銃弾を取り出す動画まで公開しているが、説明するまでもなく荒唐無稽 な作り話である。シーシェパードのウェブサイトには、ご丁寧に日新丸から狙撃の瞬間の発射炎と称する写真まで載せられているが、当方で光の出所を調べたら、「狙撃手」の正体は解剖甲板に備え付けの時計の照明であった。
2007/08年調査における2団体の妨害活動に関しては、未だに腑に落ちない点がいくつかある。その最たるものは、なぜ彼らが船団の位置を知ることが出来たか?という点である。
先にも述べたように、グリーンピースもシーシェパードも、最初は例年のごとく調査船団を発見するために大変な努力を探索に投じていたはずで、容易には調査船団の位置を特定できない様子であった。しかし、調査母船日新丸は1月7日に突如近隣海域からの救難信号を受信した。一抹の不安はあったものの、 シーマンシップに則り、豪州の海難救助担当機関であるRCC Australiaに連絡を取ったところ、RCCAustraliaから正式な救助協力要請を受けた。このため、日新丸は負傷者救出のため現在位置を知らせて現場に急行したが、残念ながら現場到着前に負傷者が死亡したため、翌1月8日に救助要請は解除された。念 のためRCC Australiaには、妨害の危険を避けるため、通報した母船位置情報を外部に対して秘匿してもらうよう要請し、快諾を得ていたのだが…妨害団体達が突然調査船団に向けてまっしぐらに向かってきたのはこの直後である。なんと1月11日付の豪州の新聞には、E号に母船が発見される前にも拘わらず、すで に調査母船の位置が報道されていた。グリーンピース及びシーシェパードは、この時調査船団の位置をいかにして突き止めたかについて、それぞれ「鯨の餌(krill)の跡をたどってきた」、「ジャンプしたザトウクジラが船の針路を指し示した」などと、冗談とも真面目とも言えぬ調子で説明している。答えは明らかだ。人命救助のために豪州当局に伝えた日新丸の位置が、何らかの形で環境テロリスト達に流されていたのである。
グリーンピースは、しかし、燃料が尽きてニュージーランドに帰港後、「船団を再発見できる見込みが少ない」として、事実上今期の妨害活動の終了を宣言した。一方、シーシェパードはグリーンピースとは対照的に、2月14日に3度目となる出港をした後、かつての船団探索に費やした努力が嘘のように、易々と 我々の位置を突き止めて追跡して来た。シーシェパード側は、その理由を「前回妨害時(1月17日)に、第二勇新丸に侵入した二人が小型の発信機を取り付けた」と説明しているが、これは明らかに嘘である。シーシェパードは、不法侵入事件を起こした後も、燃料が尽きて2月2日に豪州の港に戻るまでの間は調 査船団の位置を全く把握できず、グリーンピースやOV号が「日新丸の位置を教えない」として自己のウェブサイトや報道記事で激しく罵っている。実は我々にしても、本紙上では詳しくは述べられないものの、妨害団体による発信機の装着は想定の範囲内なので、予防対策は抜かりないのだ。すなわちシーシェパー ドのSI号は、3度目の出港に際して初めて、船団の位置をリアルタイムで把握できるまったく新たな情報源もしくは装置を入手したことになる。それは何なのか。
ここからは筆者及び関係者の推測であるが、まずは豪州政府が南極海に派遣した漁業監視船OV号が、我々の位置を常に正確に突き止めていた事を思い起こさなければならない。我々は、OV号が広大な南極海を単独で監視する船と聞き、当然航続距離の長いヘリコプターか水上飛行機を搭載しているものと考えて いたが、実際は高性能の大型ボートを数隻積んでいただけだった。にもかかわらず、OV号は何度もレーダー圏外から日新丸の位置を易々と探知して姿を現し、我々を驚かすことがあった。後日陸上で得られた情報によれば、豪州は、南極海で自国が主張する広大な経済水域内での密漁(主にメロ=マゼランアイナメ 漁)を摘発するために、人工衛星を使った監視システムを構築しているのだそうだ。OV号が遠方から易々と日新丸船団に接近できたのは、おそらくはこのシステムにより船位情報を得たと考えて間違いなかろう。では民間の非政府団体のシーシェパードも同じ情報を入手していたのだろうか?真相は未だ不明だ。しか しシーシェパードがこの時ウェブサイト上に流していた調査船団の位置に関する記事には、しばしば周辺の海氷の状況や局地的な天候に関する情報も含まれていた。衛星画像を利用していたのであれば、辻褄が合う話である。また、この点に関して我々が一層疑念を深める根拠になったのが、豪州の前政権の中でも 最も激しく日本の鯨類捕獲調査を非難していた元環境大臣が、今年(2008年)になってシーシェパードの幹部に就任した事である。豪州政府とシーシェパードの関係は、かくも深く堅い。このような状況であれば、政府の情報がシーシェパードに漏洩したとしても不思議はないだろう。報道によれば、この元環境大 臣は、シーシェパードによる酪酸投げ込みに関して意見を聞かれ、「子供のいたずらのようなもので取るに足らない事だ」と答えたそうだ。誰か、試しに彼の自宅に酪酸の瓶を100本ほど投げ込んで欲しいものだ。それでも同じ事が言えるのであれば、筆者も少しは彼の捕鯨に対する意見を聞く気になろう。
我々が環境テロリストと呼ぶシーシェパード、グリーンピースの両者は、ともに環境保護団体を標榜している。周知のごとく、世の中には捕鯨に反対する人々は多数いるものの、その理由は実に様々である。強いてその代表的なものを挙げてみると、(1) 商業捕鯨は鯨を絶滅させる危険が高い、(2) 鯨は(おそらく) 知性ある大型野生動物であり殺すべきではない、(3) 捕鯨は手法が残虐である、と言ったところに集約される。環境保護団体は、動物愛護団体とは本来目的が異なるので、(1) がその主たる主張となるはずである。(2)、(3) についてはいわゆる動物福祉の問題であるが、これらの検証は別の機会に譲る(興味ある方は石川 2000、2003等を参考されたい)として、ここでは(1) について考える事としよう。
(1) に関する捕鯨反対の説明としてしばしば使われるのは、「過去において商業捕鯨の管理に失敗したから、捕鯨を再開すれば同じ事が繰り返される」とする論理である。しかし、これは「過去に墜落事故が起きたから飛行機を飛ばすな」と言っているようなものだ。乱獲の歴史の主役であったオランダや英国はもはや捕鯨を止めてしまったが、日本やノルウェーのみならず米国(商業的ではないが捕鯨を行っている)等も含む現在の捕鯨国では、安全な資源管理の手法も、捕鯨活動の監視技術も、今や格段に進歩して来ている。国際捕鯨委員会(IWC)は、厳格な資源保護を前提とした捕獲枠計算方式である改定管理方式(RMP)を 完成させており、また、商業捕鯨国ノルウェーは独自に無人監視装置(ブルーボックス)を開発して、すべての捕鯨船にこのシステムを搭載する事で捕鯨活動の厳格な管理を進めている。そもそもひとくちに「鯨が絶滅」と言うが、鯨の種類は85種類以上あり、現在では、実際に絶滅の危機にある種は、当然の事な がら厳重に保護されており商業的な捕鯨の対象とはならない。資源の豊富な種については、きちんと管理さえすれば持続的な捕鯨が可能である事は、IWC自身が認めるところでもある(だからこそ商業捕鯨が中断している今日においても、米国等で原住民生存捕鯨なる捕鯨活動が認められている)。
ところが最近では、反捕鯨団体からは「捕獲調査は国際法違反である」、「日本人はもはや鯨肉を必要としていない」、「鯨肉は汚染されていて食用に適さない」、などとの屁理屈が撒き散らされている。いちいち詳しく説明していては紙面が足りないので省略するが、鯨類捕獲調査は国際法である国際捕鯨取締条約の規定に基づいて行われる合法的な調査活動であり、日本政府が捕鯨政策を推進するのは鯨を食べたい国民が多数を占めているからであり、まともな鯨肉を食べて健康を害した人の話を私は知らない(心配な方は、日本鯨類研究所2002、厚生労働省2005等を参照されたい)。簡単に論駁されてしまうこれらの主張は、先に挙げた(1) の理由がもはや世間に通用しなくなった事に対する言い訳にしか聞こえない。
しかし、このように捕鯨反対の理由を猫の目のように変えてくる「環境保護」団体の主張の最も非論理的なところは、そもそも鯨を保護(あるいは捕鯨を禁止する)することが、なぜ環境を保護することとなるのか?という点について、誰もまともな説明をしていない点である。「環境保護」団体「大手」のグリー ンピースジャパンのウェブサイトを探してみれば気づくことだが、この疑問に対する論理的な答を見つけるのは容易ではない。唯一記載されているのは「海洋生態系ピラミッドの頂点に位置するクジラ類の保護が重要(原文まま)」との一言、ただそれだけである。毎年のように南極海まで妨害船を繰り出し、反捕鯨 キャンペーンを大々的に展開する大手「環境保護」団体が主張する捕鯨反対の理由として、これはあまりにお粗末すぎてはいないか。
動物愛護団体ではなく「環境保護」団体であるはずのグリーンピースは、当然の事ながら盲目的に鯨という個体を守るのではなく、鯨を取り巻く海洋生態系を守る事を目指さなければならないはずである。しかし、生態系について少しでも学んだ者であれば知っている事だが、生態系を保護あるいは保全するとい う事は、単一種を保護する事ではなく、「食う−食われる」の関係にある食物連鎖に関わる生き物たちと、それを支える自然環境をダイナミックに捉えて維持していく事である。生態系保全のためには、対象となる環境を単に放置するだけではなく、人間が積極的に介入して管理する必要がある事もしばしばある。鯨 のみを保護した、あるいは捕鯨を止めさせたところで、それは海洋生態系や環境を保護したとは到底言えず、むしろ生態系を破壊しかねない危険すら孕んでいるのだ。
具体的な例を挙げよう。北海道にはエゾジカが棲息している。このエゾジカは、明治開拓以前は北海道全域に棲息し、秋から冬にかけて日本海側の多雪地帯から太平洋側の雪が少ない地方へ、大規模な移動を行っていた。北海道では、1870年代に毎年10万頭規模のエゾジカの捕獲を行い肉や毛皮を輸出していたが、 乱獲に追い打ちをかけて2度にわたる全道的な豪雪により、エゾジカの資源量は激減した。絶滅を防ぐために禁猟の措置を取ったところ、その後エゾジカの生息数は1980年〜1990年代に主に道東で爆発的に増加し、それとともに農林業被害も激増した(宇野2006)。本来、自然界においてエゾジカの生息数を調整する 役割を担っていたエゾオオカミが1890年代に絶滅したことも、エゾジカ生息数増加の一因と言われる。エゾジカによる被害は農林業に留まらず、阿寒や知床などの国立公園では、個体数の異常な増加により広葉樹の食害や希少植物の減少など、森林生態系への深刻な影響が危ぶまれている(森林総合研究所2003)。す なわち、特定の種に対する過剰な保護が、生態系そのものを脅かす結果となっているのである。シカによる森林生態系への被害は北海道に限ったものではなく、本州以南でも同様の問題が生じている(井上と金森2006)。現在多くの地域において、いかにして個体群の数を管理しつつ農林業を維持するか、すなわちシ カを守るか駆除するかという単純な構図ではなく、人とシカとが共存すると言う観点から、行政、住民、NGO等が一体となった取り組みが行われ、個体数調節のために捕獲したシカの食用利用等も推進されている。
翻って鯨の場合はどうか。戦前戦後の南極海における大型鯨類乱獲の結果、大型ヒゲクジラ類の激減によって南極海生態系に空いた隙間(生態学的にはニッチェと言う)を埋めるように、小型種のクロミンククジラの個体数が急激に増加したことはよく知られている(例えば加藤1991)。日本の長年にわたる調査の 結果、南極海においては、今やザトウクジラやナガスクジラの資源が急速に回復している(Matuoka et al, 2005) 一方、ミンククジラの資源増加が停滞している事が明らかになってきた(藤瀬2006)。南極海における大型ヒゲクジラ類の急激な増加は、餌を巡る鯨種間競合を引き起こし、ひいては南極海生態系に大きな変化を起こす可能性が ある。また北東太平洋では、一時期絶滅の危機に瀕していたコククジラが、厳重な保護の結果資源量が順調に回復して環境収容力に達し、今や栄養失調で死亡する個体が増加している(大隅2008)。一部の環境保護団体は「昔の鯨資源はもっと豊富だったから保護をする必要があるのだ」と主張するが、世界の人口が 大幅に増加し、食料としての海洋資源の開発が進む現在、鯨という生態系の上位にいる種のみを過剰に保護する事は、森林におけるシカの如く、将来における海洋生態系に大きな影響を与える可能性がある事は考慮されなければならない。真に絶滅の危機にある数種を除けば、地球の生態系において鯨だけが特別な 存在ではいられないのだ。
環境保護を主張する団体であれば、この事を知らないはずがない。しかしグリーンピースを始めとする反捕鯨「環境保護」団体は、明らかにこの矛盾を承知で鯨を守れと叫んでいる。それは環境にとっていかにも美しく正しい事のように聞こえるかもしれないが、実際には真剣に地球の環境を心配する人々を欺き、 寄付金を集める手段でしかない。環境保護と鯨の保護とは、そもそも同列に扱われる問題ではないのだ。
自らを法の執行機関の如く称し、自分勝手な正義を振りかざし、暴力で調査船団を襲撃するシーシェパードには、環境保護団体を名乗る資格など無い。彼らは一部の反捕鯨国政府とマスコミに甘やかされて暴走する危険な環境テロリストである。彼らがもし日本の主権が及ぶ海域で同様の行為をすれば、たちどこ ろに海上保安庁の巡視艇に拘束されるであろう。一方のグリーンピースも、少なくとも我々にとってはシーシェパードと同様の環境テロリストである。なぜなら、これまでに彼らが南極海で調査船団に行ってきた破壊や窃盗(1999/2000年)、不法侵入(1994/95年、1999/2000年等)、船舶衝突(1999/2000年、 2005/06年等)などの一連の妨害行為は、シーシェパードの行動となんら変わる所が無いからである(石川2006)。しかしグリーンピースの「環境保護」団体としてのブランドはなかなか強固らしく、日本の大手と言われる新聞社ですら、被害者たる我々の声を聞くどころか、彼らの主張ばかりを盲目的に報道する事が ある。少なくとも世の中には、グリーンピースが、たとえ妨害活動は行っても最低限の法令遵守を行う健全な団体と信じる人は多かろう。
しかし、今年(2008年)5月にグリーンピースジャパンが起こした事件は、彼らの暴走振りを広く人々に知らしめる結果となった。彼らは、南極海の調査を終えて帰港した日新丸の乗組員が、組織的に鯨肉を大量に横領したとして東京地検に告発したのだ。船内で鯨肉を盗まれたのならば、被害者は調査実施者た る(財)日本鯨類研究所か、調査終了後の鯨肉販売を委託された共同船舶(株)のはずだが、なぜか告発したのはグリーンピースで、批判の矛先は鯨類捕獲調査そのものである。これは、「国から補助金(税金)を受けて実施されている調査事業で不正が行われている」との筋書きを作りたいグリーンピースの策略で あったが、厳しい南極海での調査中に、告発されたような大量の鯨肉製品を密造し保管する時間も場所も無い事は、同じ船に乗っていた筆者自身が最もよく知っている。何よりこの事件が異常であったのは、横領を告発したグリーンピースジャパンのメンバーが、「証拠を確保するため」と称して、乗組員が送った私 物を宅配便の配送所から盗み出し、しかもそれを堂々と公表した事であった。このグリーンピースジャパンの手法には、告発騒動の当初より多くのマスコミから疑問の声が上がっていたが、案の定と言うべきか、当然と言うべきか、告発の内容は事実無根として不起訴となる一方、荷物を盗んだグリーンピースのメン バー2人は、窃盗及び建造物侵入の容疑で逮捕起訴される結末となった。
自分たちの盲信する「正義」を行使するためには法をも平気で犯すと言うグリーンピースの論理は、まるでシーシェパードと変わるところはない。さらに言えば、十数年前に猛毒サリンをばらまき日本国民を震撼させたカルト宗教集団も同じ理屈ではなかったか。グリーンピースジャパンは、荷物を盗み出した運 送会社には謝罪したと言っているが、盗んだ荷物の持ち主はおろか、勝手に犯罪をでっち上げて告発した相手の共同船舶乗組員達には謝罪の一言もない。それどころか、未だに「巨悪を追求するためには窃盗もやむを得なかった」などと強弁している。
筆者は以前にも同じ事を書いたが、世の中には捕鯨に賛成する者もいる一方、反対する者もいて当然である。それはまったく自由な主張であるし、日本が今後も捕鯨推進を政策として取るか否かは主権者たる国民が議論をして決めれば良い事である。しかし、鯨の保護を環境保護にすり替えて主張する事には大い に問題があるし、ましてや暴力と嘘、窃盗などという手段でしか捕鯨反対を訴えられない輩は、決して「環境保護」団体などではない。グリーンピースは、環境保護団体を名乗りたいのであれば、日本の鯨類捕獲調査を闇雲に批判する前に、自らでっち上げた冤罪を真摯に謝罪するだけでなく、これまで捕獲調査船 団に対して行ってきた妨害活動が、なぜ地球環境の保護になるのかについて、まともな説明をするべきであろう。
宇野裕之2006.エゾジカ管理保護の現状〜北海道の取り組み〜.2006エゾジカフォーラム報告書.社団法人エゾジカ協会.
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加藤秀弘1991.鯨類における生物学的特性値の密度依存的変化.(桜本和美・加藤秀弘・田中昌一編.鯨類資源の研究と管理).恒星社厚生閣
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Matsuoka, K., Hakamada, T., Kiwada, H., Murase, H. and Nishiwaki, S. 2005. Global Environmental Research
鯨の保護は地球環境を救うか?−暴走する「環境保護」団体の奇妙な論理− PDF形式