第二期北西太平洋鯨類捕獲調査(JARPNII:通称 ジャルパン・ツー)は、日本政府からの特別許可を受けて、2000年から実施している調査です。
この調査の目的は、鯨類が消費する餌生物の種類や量、鯨類の餌生物に対する嗜好性などを調べて鯨類の摂餌生態を解明するとともに、それらの相互関係を基にした生態系モデルの構築を進めて、鯨類を含む日本周辺の水産資源の包括的管理に貢献することです。
これまでにJARPNIIで収集されたデータおよび標本に基づく調査・研究の結果については、2009年1月に国際捕鯨委員会(IWC)の科学委員会が主催した専門家グループによるレビュー会議において議論され、高い評価を受けました。
さらに本年2月にはJARPNIIの最終レビュー会議が開催され、その報告書及びこれに対する日本の科学者の回答文書が本年6月に開催されたIWC科学委員会において議論され、評価と今後の改善点ついて助言をいただきました。
尚、2014年3月の国際司法裁判所(ICJ)による「南極における捕鯨」訴訟の判決の指摘を踏まえ、北西太平洋の調査(沿岸調査及び沖合調査)についても、2014年以降、調査目的を限定し、バイオプシー標本や糞採集などの非致死的調査の実行可能性について比較・検証調査を行うことになりました。
この成果は、2017年の実施を目指している新調査計画の策定に活用される予定です。
本年度の沖合調査は、霧の多発や低気圧の通過などの天候不良の影響を受けましたが、75日間の調査期間中に計画通りの捕獲調査および非致死的調査を行うことが出来ました。 また、本年の調査では、下記12.項に示すような興味深い鯨類の摂餌生態に関する情報を得ることが出来ました。
@ 鯨類の摂餌生態、生態系における役割の解明
A 鯨類及び海洋生態系における海洋汚染の影響の把握
B 鯨類の系群構造の解明
一般財団法人 日本鯨類研究所
日本沿岸から東経170度まで、北緯35度以北の北太平洋(7、8、及び9海区)の一部海域
航海日数: 平成28年5月12日(出港)〜平成28年7月25日(入港) 75日間(目視採集船)
平成28年5月13日(出港)〜平成28年7月26日(入港) 75日間 (調査母船)
調査日数: 平成28年5月16日(開始)〜平成28年7月21日(終了) 67日間
1)調査員
調査団長 坂東 武治((一財)日本鯨類研究所 調査研究部 鯨類生物研究室長)
(一財)日本鯨類研究所より 他6名
2)調査船と乗組員数(出港時:調査員を含む)
調査母船 日 新 丸 ( 8,145トン 小川 知之 船長以下100名)
目視採集船 勇 新 丸 ( 724トン 阿部 敦男 船長以下 20名)
目視採集船 第二勇新丸 ( 747トン 大越 親正 船長以下 20名)
2,663浬(目視採集船2隻の合計)
(捕獲調査船団の合計)
イワシクジラ 270群 444頭
ニタリクジラ 94群 104頭
ミンククジラ 2群 2頭
マッコウクジラ 56群 147頭
シロナガスクジラ 3群 3頭
ナガスクジラ 13群 15頭
ザトウクジラ 21群 26頭
シャチ 11群 63頭
イワシクジラ 90頭
ニタリクジラ 25頭
イワシクジラ 19頭
ニタリクジラ 28頭
ミンククジラ 2頭
ナガスクジラ 2頭
ザトウクジラ 4頭
シャチ 2頭
イワシクジラ 3頭
ザトウクジラ 4頭
シャチ 2頭
@ 今年度のイワシクジラの採集は、5月下旬から7月上旬にかけて行いました。 採集は東経150度から170度までの東西に幅広い海域から実施しました(図2)。 採集したイワシクジラ90頭は、雄38頭、雌52頭で、雌の割合がやや高く(表1)、また成熟率は雄で71.1%、雌で69.2%であり、雌雄ともに高い値を示しました。 また、成熟雌36頭のうち25頭は妊娠しており、妊娠割合は69.4%でした。 今後、棲み分けなどを精査する必要はありますが、イワシクジラの妊娠率はJARPNIIの調査期間を通じて高く、イワシクジラの繁殖状況が2000年代以降、健全な状態にあることを示唆しています。
図2. 2016JARPNIIの調査コースと採集したイワシクジラ及びニタリクジラの発見位置 (■:イワシクジラ、◆:ニタリクジラ)。 黒線は通常調査、青線は特別調査
表1. 採集した標本の性状態組成
A イワシクジラの胃内容物はカイアシ類やオキアミ類などの動物プランクトンから、マイワシ、サバ属魚類(マサバ、ゴマサバ)、サンマなどの表層群集性魚類まで、広範な餌生物種が認められました(表2)。 本調査において、イワシクジラの主要餌生物がカタクチイワシからサバ属魚類(マサバ・ゴマサバ)やマイワシに移行しつつあることを明らかにしてきましたが、本年調査ではサバ属魚類が最も卓越した主要餌生物として観察されました。 近年の別の資源調査によってカタクチイワシ資源の低下と分布域の縮小が示唆されており、イワシクジラの主要餌生物種の変化は、餌生物種の資源動態を反映したものと考えられ、JARPNIIによってその変化の状況を把握することができたと考えています。 今後は、今までのJARPNIIの調査結果を基に、イワシクジラの分布、食性と餌環境の変化について調査・研究を進め、明らかにしたいと考えています。
表2. 採集した標本の胃内容物組成
B 今年度のニタリクジラの採集は、調査時期後半の7月上旬から7月中旬にかけて行われました。 採集は東経155度から165度までを中心に行われました(図2)。 採集した25頭のうち、雄は11頭、雌は14頭でした。 成熟率は雄90.9%、雌85.7%と雌雄ともに高い値を示しました。 妊娠個体の割合は成熟雌の33.3%でした(表1)。 胃内容物はほとんどの個体がオキアミ類を捕食していました(表2)。 JARPNIIではこれまでニタリクジラの主要餌生物としてカタクチイワシとオキアミを観察してきましたが、本年の調査ではカタクチイワシの割合が昨年に続いて減少していることを観察しました。 このことは、ニタリクジラも餌環境に応じて食性を変化させていることを示唆しており、今後、ニタリクジラの分布や食性と餌環境の関係についてさらに調査・研究を進め、明らかにしたいと考えています。
C 採集されたすべての鯨から、年齢査定に必要な耳垢栓や水晶体、食性研究のための胃内容物標本、化学分析用の組織標本など、数多くのデータや標本を収集しました(表3)。 これらの調査記録、データ及び採集標本は、今後、様々な分野の研究者により分析及び解析が行われ、研究成果についてはIWCや各分野の学会などで公表される予定です。 また、北西太平洋における鯨類資源の適切な保存及び管理への貢献が期待されています。
表3. 今次調査で実施した生物調査項目と標本の一覧
D 非致死的調査は、バイオプシースキン標本採集実験、脱糞行動の観察及び糞回収実験、衛星標識装着実験、自然標識記録(個体識別用写真撮影)、距離角度推定実験を実施しました。 バイオプシースキン標本採集は72回実験を行い、イワシクジラ19頭、ニタリクジラ28頭、ミンククジラ2頭、ナガスクジラ2頭、ザトウクジラ4頭及びシャチ2頭から標本を採集しました。 今後、採集した標本を用いて、鯨類の食性や系群構造を明らかにするための諸解析等に取り組むとともに、非致死的調査の実行可能性についても検討する予定です。 脱糞行動の観察は合計約113時間費やし、イワシクジラ440頭、ニタリクジラ103頭、ミンククジラ2頭に対してそれぞれ83.0時間、29.5時間、0.8時間の観察を行いました。 イワシクジラでは脱糞行動の観察が11例ありましたが、糞を採集することはできませんでした。 ニタリクジラ及びミンククジラでは、脱糞行動が観察されませんでした。 自然標識記録は、ザトウクジラ4頭及びシャチ2頭に対して実施しました。 これら非致死的調査の調査記録、データ及び採集標本は、今後、様々な分野の研究者により分析及び解析が行われ、特に、2014年から2016年までの調査で実施した非致死的調査については、研究結果とともに、実行可能性に関する検討結果についても、来年のIWC科学委員会などに報告する予定です。
2000年に予備調査が開始されたJARPNIIでは、鯨類の摂餌生態、環境汚染物質のモニタリング、鯨類の系群構造解明に有用なデータが2016年までの17年間にわたって継続的に得られてきました。 これらの知見は多分野にわたっており、国内外の研究者にとっても非常に価値あるものとなっています。 本年2月にIWC科学委員会が主催した外部専門家グループによるJARPNII最終レビュー会議では、「JARPNIIにおける調査とその解析のレベルは素晴らしいものであり、クジラの餌選択性と消費量の推定における不確実性の解析は非常に進歩した。 またJARPNIIにより、日本周辺の鯨類における汚染物質の研究が大いに進歩した。 さらに、鯨類の保護と管理に必要な系群構造においても、JARPNIIの調査と研究は大いに貢献した」との高い評価を受けています。
こうした捕獲調査の成果や科学的評価については、当研究所のホームページでも参照できます (http://www.icrwhale.org/Tokubetsukyoka.html)。
JARPNIIでは、主目的の一つとして、鯨類の餌消費量、餌嗜好性など、生態系モデルの構築に必要なデータが蓄積されてきました。 JARPNIIで得られた鯨類の餌消費量、餌嗜好性などの情報を用いて、鯨類の捕食がカタクチイワシ、サンマ、サバ属魚類(マサバ、ゴマサバ)などの日本の漁業資源に与える影響を評価していく予定です。 また、イワシクジラやニタリクジラ、ミンククジラなど鯨類において重要な餌生物は、これまでカタクチイワシでしたが、近年の調査では、サバ属魚類(マサバ、ゴマサバ)やマイワシに変わってきたことを明らかにしました。 今年の調査では、イワシクジラは主にサバ属魚類とマイワシを、ニタリクジラは主にオキアミを捕食していることが観察され、両鯨種とも、カタクチイワシは捕食していませんでした。 JARPNIIでは、鯨類の食性を通じて餌生物の変化をモニタリングすることにより、10年スケールで変化している表層性浮魚類の魚種交替を鯨類の摂餌戦略の変化として捉えることができました。 ここで得られたデータは引き続き解析を行い、IWC科学委員会、学会等での議論を通じて、鯨類を含む海洋生物資源の持続的利用に貢献することが期待されます。
この他に遺伝データも蓄積され、鯨類の系群構造の検討が国内外の研究者により進められています。 JARPNII等の標本を用いた研究からは、イワシクジラでは標本中に異なる系群の存在を支持するような時空間的な遺伝的分化が見られず、北太平洋は1つの系群で占められることが示唆されています。 IWC科学委員会では、今後北太平洋のイワシクジラ資源の詳細評価が行われ、改定管理方式(RMP)の適用試験が開始されることになりますが、これらの作業にもJARPNIIの調査成果が貢献していくと考えています。 また、ニタリクジラについては、これまでIWC科学委員会で行われてきたRMPの適用試験にJARPNIIの調査成果が貢献してきましたが、これに加え、JARPNII等の標本を用いた研究から北太平洋に2つの系群が存在する可能性が示唆されています。
今後も、北西太平洋における鯨類資源の適切な保存及び管理に不可欠な情報の提供を通じて、鯨類や漁業資源の管理に貢献していきます。
(参考) 国際捕鯨取締条約第8条抜粋
1. この条約の規定にかかわらず、締約政府は、同政府が適当と認める数の制限及び他の条件に従って自国民のいずれかが科学的研究のために鯨を捕獲し、殺し、及び処理することを認可する特別許可書をこれに与えることができる。
2. 前記の特別許可書に基づいて捕獲した鯨は、実行可能な限り加工し、また、取得金は、許可を与えた政府の発給した指令書に従って処分しなければならない。
左:イワシクジラの胃内容物:サバ属魚類(マサバ・ゴマサバ)、中:イワシクジラの胃内容物:サバ属魚類(マサバ・ゴマサバ)、右:イワシクジラの外部形態計測
左:イワシクジラへの衛星標識装着実験、右:シロナガスクジラの親子