第二期北西太平洋鯨類捕獲調査(JARPNII:通称 ジャルパン・ツー)は、日本政府からの特別許可を受けて、2000年から実施している調査です。
この調査の目的は、鯨類が消費する餌生物の種類や量、鯨類の餌生物に対する嗜好性などを調べて鯨類の摂餌生態を解明するとともに、それらの相互関係を基にした生態系モデルの構築を進めて、鯨類を含む日本周辺の水産資源の包括的管理に貢献することにあります。
この調査の前身である第一期調査(JARPN)では、ミンククジラの系群構造の解明を目的に1994年から1999年まで実施し、多くの遺伝学的・生物学的情報を収集し、同資源の資源評価に貢献してきましたが、同時に、ミンククジラが漁業対象魚種を多量に捕食していることが観察されました。
このことは、鯨類のみならず水産資源全体を包括的に管理していく必要のあることを示しており、第一期調査に続き、鯨類とその餌生物を含めた総合的な調査としてJARPNIIが計画されました。
このため、調査対象は、従来からのミンククジラ(体長8メートル、資源量25,000頭)に、大型で生物量も大きく、また捕食量が生態系に与える影響が大きいと推定されるニタリクジラ(体長13メートル、資源量25,000頭)、ミンククジラの資源量を超えるまでに回復してきていたイワシクジラ(体長14メートル、資源量28,500頭(東太平洋を含まず))、表層生態系に関係するアカイカを消費するマッコウクジラ(体長雄15メートル・雌11メートル、資源量102,000頭)を加えた4鯨種に拡大しました。
また、鯨類が利用している餌生物の分布や存在量を推定するため、計量魚探や中層トロールを装備した調査船を用いて、鯨の捕獲調査に加えて餌環境調査も実施しています。
JARPNIIでは、こうした鯨類の摂餌生態調査の他に、鯨類や海洋生態系への化学汚染物資の影響の把握や、各鯨種の資源構造の解明にも引き続き取り組んでいます。
日新丸調査船団は、JARPNIIの下で実施されている沖合域調査を担当していますが、この他、沿岸域の捕獲調査を(一社)地域捕鯨推進協会が小型捕鯨船を用いて担当しています。
我が国が実施している鯨類捕獲調査は、国際捕鯨取締条約(ICRW)の第8条(別記参照)によって締約国の権利として認められている正当な科学調査です。
また、漁業資源の適切な管理の実現に鯨類調査が必要であることは、国際連合食糧農業機関(FAO)の水産委員会でも強く支持されています。
なお、これまでにJARPNIIで収集されたデータおよび標本に基づく調査・研究の結果については、2009年1月にIWC/SCが主催した専門家グループによる評価会議において審議され、高い評価を受けました。
その報告書は、2009年6月に開催されたIWCの科学委員会において報告されています。
現在のJARPNIIは、それらの議論を踏まえた調査の改善を可能な限り取り入れて、実施しています。
本年度の沖合域調査は、濃霧などの天候不良に悩まされた他、調査の後半に連続して台風が調査海域を通過したことなどから、75日間の調査期間中にイワシクジラは計画通りの捕獲調査を行うことが出来ましたが、ミンククジラ、ニタリクジラおよびマッコウクジラについては予定していた標本を得ることが出来ませんでした。 しかしながら、本年の調査では、以下に示すような興味深い鯨類の摂餌生態に関する情報を得ることが出来ました。
(1) 鯨類の摂餌生態、生態系における役割の解明
(2) 鯨類及び海洋生態系における海洋汚染の影響の把握
(3) 鯨類の系群構造の解明
一般財団法人 日本鯨類研究所
日本沿岸(もしくは東経145度)から東経170度まで、北緯35度以北の北太平洋(7、8、及び9海区)の一部海域
航海日数 : 平成25年7月25日(出港)〜平成25年10月7日(入港) 75日間
調査日数 : 平成25年7月30日(開始)〜平成25年10月2日(終了) 65日間
調査団長 坂東 武治((一財)日本鯨類研究所 調査研究部 鯨類生物研究室長)
日本鯨類研究所より 坂東 武治 以下5名
調査母船 日 新 丸 ( 8,145トン 小川 知之 船長以下101名)
目視採集船 勇 新 丸 (720トン 三浦 敏行 船長以下19名)
目視採集船 第二勇新丸 (747トン 阿部 敦夫 船長以下19名)
* この他に、独立行政法人水産総合研究センター所属の俊鷹丸(887トン 秦一浩船長以下31名)が、7月24日から8月22日の30日間、JARPNIIと連携して鯨類目視生態環境調査を実施した。
1,846浬 (目視採集船2隻の合計)
(捕獲調査船団の一次及び二次発見の合計)
ミンククジラ 3群3頭
イワシクジラ 282群442頭
ニタリクジラ 47群56頭
マッコウクジラ 123群167頭
シロナガスクジラ 6群 7頭
ナガスクジラ 47群 64頭
ザトウクジラ 1群 1頭
ミンククジラ 3頭
イワシクジラ 100頭
ニタリクジラ 28頭
マッコウクジラ 1頭
(1) イワシクジラは東経155度から170度の沖合域に広く分布し、東西の幅広い海域から標本が採集されました(図2)。 本年の特徴として、従来の主要な分布水温帯である海表面水温15度前後ではなく、水温20度前後の海域においても高密度海域が形成されていました。 採集したイワシクジラ100頭のうち、雄は44頭、雌は56頭であり、やや雌の割合が高い値を示しました(表1)。 雄の成熟率は63.6%であったのに対し、雌の成熟率は89.3%と高い値を示しました。 50頭の成熟雌中31頭は妊娠しており、成熟雌中の妊娠雌の割合は62.0%と高い値を示しました。 性状態による棲み分けなどを考慮する必要はありますが、イワシクジラの妊娠率は例年同様高い値を示し、このことはイワシクジラの繁殖状況が健全であることを示しています。 胃内容物はカイアシ類やオキアミ類などの動物プランクトンから、カタクチイワシなどの魚類まで、広範な餌生物種が認められ、東経170度付近で採集された個体からは、ヒメドスイカが認められました(表2)。 近年の調査において、イワシクジラの主要餌生物がカタクチイワシからサバ科魚類(マサバ・ゴマサバ)に移行しつつあることが明らかになっており、本年の調査でもこの傾向が認められました。 近年の研究によりカタクチイワシ資源の低下が示唆されていることから、イワシクジラの主要餌生物種の変化はこれを反映している可能性があり、さらにイワシクジラの食性と餌環境の変化について調査・研究を進め、明らかにしたいと考えています。
図2.2013JARPNIIの調査コースおよび採集したミンククジラ、イワシクジラ、ニタリクジラ及びマッコウクジラの発見位置
(●:ミンククジラ、■:イワシクジラ、◆:ニタリクジラ、▲:マッコウクジラ)。
表1.採集した標本の性状態組成
表2.採集した標本の胃内容物組成
(2) 今年度のニタリクジラの採集は、調査開始時期の7月中旬から8月上旬にかけて及び調査終盤の9月後半を中心に行われました。 採集は東経155度から165度までの沖合域を中心に行われました。 採集した28頭のうち、雄は13頭、雌は15頭でした。性成熟率は雄75.0%、雌80.0%と高い値を示しました。 成熟雌12頭中7頭が妊娠しており、妊娠個体の割合は58.3%でした。胃内容物としては、オキアミ類、カタクチイワシ、サバ科魚類など様々な種が認められました。 今後、海洋構造と餌生物の分布状況とも併せて解析を行い、ニタリクジラの餌生物への嗜好性の解明に貢献できるものと考えられます。
(3) ミンククジラの採集は3頭でしたが、いずれも成熟雄で、同じ調査日に採集されたにもかかわらず、主要な胃内容物はサンマ、カタクチイワシ、サバ科魚類と個体によって異なっていました。 ミンククジラはこれまでの研究から、環境に応じて柔軟に餌生物を変えることが知られており、餌生物の資源が変化してきた可能性があることから、今後注意深くモニタリングしていく予定です。
(4) マッコウクジラは、9海区西部で1頭の採集を行いました。 採集した個体は、未成熟のメスでした。胃内容物としては、中深層性のイカ類が観察されました。 これまでの解析から、マッコウクジラは海洋構造を反映した分布をしている中深層性イカ類を主に利用しているが、餌生物の一部には表層生態系にも関係を持つアカイカなどが含まれていることが明らかになっています。 今回も胃内容物調査を行ってマッコウクジラが捕食していた餌生物種を同定し、本種が表層の生態系に与える影響について検討を進める予定です。
(5) 本年の調査は例年よりも遅い時期の調査であったため、従来標本の少なかった初秋の時期の標本を得ることができました。 ヒゲクジラ類は秋期に摂餌海域から繁殖海域に移動すると考えられていますが、イワシクジラは9月後半になっても摂餌海域において高密度海域を形成し、摂餌を続けていることがわかりました。 一方ニタリクジラでは特に沖合域において9月後半に高密度海域が形成されておらず、水温の低下とともに移動している可能性が示唆されました。
(6) 採集されたすべての鯨から、鯨の年齢査定に必要な耳垢栓や歯、栄養状態・健康状態の判定に必要な脂皮厚、化学分析用の組織標本など、数多くのデータや標本が得られました(表3)。 これらの調査記録、データ及び採集標本は、今後、様々な分野の研究者により分析及び解析が行われ、鯨類資源に関する研究の進展に寄与することが期待されます。 研究成果については、国際捕鯨委員会(IWC)や各分野の学会などで公表される予定です。
表3.今次調査で実施した生物調査項目と標本の一覧
(7) JARPNIIは、上述した鯨類の捕獲調査に加えて、鯨類の餌環境調査も併せて実施しています。 今年度は、独立行政法人水産総合研究センター所属の俊鷹丸が鯨類目視生態環境調査船として参加し、日新丸船団と合同で7月から8月にかけての約3週間にわたって、計量魚探やトロール、プランクトンネット調査等により、鯨類の餌環境に関する調査を実施するとともに、ニタリクジラとイワシクジラに対して電子標識(音波発信機及び深度記録計(TDR))を用いた鯨類行動観察実験を実施しました。 鯨類の捕獲調査の結果に加えて、これらの餌環境調査の結果を総合的に解析することにより、ニタリクジラやイワシクジラの分布特性並びに餌生物の嗜好性を含む摂餌生態を明らかにしていく予定です。
JARPN及びJARPNIIでは、鯨類の摂餌生態、環境汚染物質のモニタリング、鯨類の系群構造解明に有用なデータが継続的に得られています。 これらの知見は多分野にわたっており、国内外の研究者にとっても非常に価値あるものとなっています。 2009年1月にIWC/SCが主催した外部専門家グループによる評価会議では、JARPNIIについて、「JARPNIIの調査において鯨類の餌に対する習性や摂餌嗜好に関するデータを収集するための著しい努力およびそれらデータや情報の全般的な高品質(を評価する)。 捕獲調査計画は複数の調査船およびプラットフォームにわたって、全般的によく調整されており、また、多くの学問領域にわたるデータを高い水準で同時に収集されたことは賞賛に値する。 これら努力の成果として得られた貴重なデータセットはJARPNII調査計画の目的にとどまらない、幅広い課題に関する一斉解析作業を潜在的に可能にするものである。」との高い評価を受けています。 こうした捕獲調査の成果や科学的評価については、当研究所のホームページでも参照できます(http://www.icrwhale.org/JARPNSeika.html)。
鯨類捕獲調査では、鯨類の餌消費量、餌嗜好性などの生態系モデルを構築するために重要な知見を得るためのデータが継続的に蓄積されてきています。 2000-2007年のJARPNII調査で得られた鯨類の餌消費量、餌嗜好性などの情報を用いて生態系モデルを構築し、鯨類の捕獲による、カタクチイワシ、サンマ、サバ科魚類などの日本の漁業資源に与える影響評価を行った研究成果が上記の評価会議に提出されました。 この報告から、JARPNIIで得られたデータにより、鯨が日本の漁業資源に与える影響を評価できる可能性が示されました。 今後さらにデータを蓄積し、より精度のよい推定を行うことは、北西太平洋の漁業資源を管理するために重要です。 また、遺伝データも蓄積され、系群構造の検討が国内外の研究者により進められています。日本側の研究からは、ミンククジラについては7海区の沿岸域に少数分布する日本海系群(J系群)の個体を除き、北西太平洋はオホーツク・太平洋系群(O系群)によって占められていることが示唆されました。 ニタリクジラについては、北西太平洋で遺伝的差異が見られず、1つの系群で占められることが示唆されました。 イワシクジラも同様に遺伝的差異が認められず、北西太平洋が1つの系群によって占められることが示唆されました。 これらの知見はIWC/SCで現在及び過去に行われたミンククジラやニタリクジラの管理改訂方式(RMP)の適用試験においても貢献しています。
本年新たに加わった標本を分析することにより、上記の知見に加えて以下に示すような科学上の進展が期待されます。
(1)イワシクジラ、ニタリクジラ、ミンククジラの食性をモニタリングすることによる、魚種交替現象とそれに対する鯨類の摂餌戦略の変化の解明
(2)マッコウクジラの餌生物情報を集積することによる、マッコウクジラが表層生態系へ及ぼす影響の解明
(参考) 国際捕鯨取締条約第8条(抜粋)
1.この条約の規定にかかわらず、締約政府は、同政府が適当と認める数の制限及び他の条件に従って自国民のいずれかが科学的研究のために鯨を捕獲し、殺し、及び処理することを認可する特別許可書をこれに与えることができる。
2.前記の特別許可書に基づいて捕獲した鯨は、実行可能な限り加工し、また、取得金は、許可を与えた政府の発給した指令書に従って処分しなければならない。
左:浮上して噴気をあげるイワシクジラ、中:イワシクジラへの音波発信機装着実験、右:シャチの白色個体
左:イワシクジラの外部形態計測、右:イワシクジラの胃内容物(サバ科魚類)