2007/08年のJARPAIIでは、調査船団はグリーンピース、シーシェパードの2団体から悪質な調査妨害を長期間にわたって受けた他、豪州政府の派遣した監視船オセアニックバイキング号から長期間にわたり執拗な追航を受けた。 グリーンピースとシーシェパードの2団体による妨害により、調査活動は延べ31日間中断された。
グリーンピースのエスペランサ号(以下E号:2,076トン)は、2007年11月5日に台湾の基隆港を出港した後、インドネシア方面へ向かうと表明していたが、11月16日に突然、下関を出港予定の日本の南極海鯨類捕獲調査船団の追航を宣言し、宮崎県沖で待ち伏せを行った。 調査船団は海上保安庁や水産庁の協力を得て、E号の妨害を避けて無事に南極海へ向かったが、E号も12月8日にニュージーランドのオークランド港に入港して準備を整えた後に、調査船団を追って12月19日に南極海に向けて出港した。
E号は調査船団の探索を続けたが、2008年1月に入っても調査船団を発見することが出来なかった。 しかし日新丸が付近で発生した漁船の負傷者の救助活動に参加した後(注1)、 グリーンピースとシーシェパードはともに調査船団の位置をそれぞれ把握し(注2)、E号は1月11日に調査母船日新丸を発見した。
注1. 日新丸は1月7日に救難信号を受信し、豪州の海難救助担当機関であるRCC Australia からの救助要請を受け、負傷者救出のため現在位置を知らせて現場に急行したが、 1月8日に負傷者が死亡したため救助要請は解除された。
注2. 母船が発見される前の1月11日付の豪新聞には、すでに調査母船の位置が報道されていた。
グリーンピースは、表向きはシーシェパードとの協力関係を否定しているものの、過去の行動から、両者の緊密な関係は明らかである(注3)。 日新丸は、2団体による暴力的な妨害により、双方に事故が発生する事を避けるため、調査を中断して調査海域を離脱した。 E号は日新丸を1月11日の遭遇時から1月26日まで執拗に追航し、1月22日に日新丸がタンカーと横付けして補給活動を行おうとしたところ、ゾディアック(ボート)を両船の間に割り込ませて妨害した。 二人の活動家を乗せたボートは、再三の注意と警告を無視して侵入した挙げ句にフェンダーワイヤーに絡まり脱出不能となり、日新丸及びタンカーの助けでようやく脱出する事が出来た。 この間、グリーンピースは他の一隻のゾディアックにカメラマンを満載させて、笑いながら安全な場所でこの様子を撮影していた。
注3. グリーンピースは2005/06年に、調査母船にアークティックサンライズ号を衝突させるなどの暴力的な妨害をシーシェパードと同時に行った他、 調査船団の位置情報をシーシェパードに流し続けた。
豪州政府は、日本の捕獲調査を「監視」するために、税関に所属する監視船オセアニックバイキング号(以下OV号:6,700トン)を2008年1月8日に出港させた(注4)。 OV号は、調査船団の第二勇新丸に侵入したシーシェパード活動家2名を、日豪間の合意に基づき1月17日に引き取り、シーシェパードのSI号に返還した。
その後OV号は、グリーンピースが日新丸のタンカー補給を妨害した際に日新丸付近に現れ、以後E号とともに日新丸を追航し、E号が燃料切れにより調査海域を離脱した後も追航を続けた。 調査船団は、グリーンピース及びシーシェパードが調査海域から離れた1月31日から捕獲調査を再開した。 OV号と搭載ボート2隻による「監視」活動は、妨害団体に比べれば抑制された行動であったが、捕獲活動を行う調査船に大型船で至近距離をつきまとう行動は、しばしば調査船団各船と衝突の危険を生じさせた。 OV号は2月12日まで調査船団につきまとったが、この間に調査船団各船(母船及び3隻の目視採集船)の船長は、OV号に対し、危険回避のため無線による直接警告を10回以上も行わねばならなかった。 豪州政府は、OV号が撮影した写真を基に「授乳中の親子を殺した。」、「日本は鯨を虐殺しているだけだ」などと、科学的根拠の欠落した感情的な激しい批判を日本に対して行った(注5)。
注4. 日本の調査捕鯨阻止を公約に掲げて昨年の豪州総選挙で政権を奪回したラッド政権は、当初は軍艦を派遣して拿捕するとの強硬な主張を行っていたが、 当選後は日豪関係を重視したのか発言が次第にトーンダウンし、最終的に「日本の捕獲調査を国際法廷で裁くための証拠収集をする」として非武装の監視船を派遣した。
注5. 「親子」と豪州政府が報道した鯨は、実際には単に捕獲された2個体の体長に差があっただけである。 OV号の「監視」下においても調査船団は目視調査やバイオプシーの採集など、多くの非致死的調査を行っているが、 豪州政府はこの点にまったく言及していない。
シーシェパードは、昨年に引き続き鯨類捕獲調査の実力阻止を宣言していたが、2007年12月5日にスティーブアーウィン号(以下SI号:1017トン)(注6)を豪州メルボルンから出港させた。SI号は、一旦は南極海まで来たものの、 エンジンの故障のため12月24日にメルボルンに戻り、2008年1月1日に再出港した。
注6. SI号は、昨年はロバートハンター号という船名であったが、出港の際に、シーシェパードの後援者で豪の有名な動物愛護家(故人)の名前に改名した。
南極海ではグリーンピース同様に調査船団の探索を続けていたが、日新丸が救助活動に従事した直後に調査船団の位置を特定した。 SI号は日新丸がグリーンピースのE号の追尾を回避している1月15日に、タンカーから補給中の調査船団各船を発見し、14:00(日本時間)に目視採集船第二勇新丸を二隻のボートで襲撃し、酪酸及び粉末薬品の包みを多数投げ込んだ他、スクリューを狙ってブイをつけたロープを投入した。 襲撃は一旦止んだかに見えたが、15:54再びやって来たボートから、突然2名の活動家(注7)が警告を無視して船内に侵入した。 SI号のボートは活動家の侵入後も執拗に攻撃を続け、ロープを繰り返し投入した。 第二勇新丸乗組員は、侵入者を船室で保護し、日豪の交渉で豪州監視船OV号が1月17日に二人を引き取るまで、食事や風呂、寝具などを提供した。
注7. 2名の侵入者は男でBenjamin Potts (豪)及びGiles Lane(英)と名乗った。
第二勇新丸が侵入者2名をOV号に引き渡した日の夜、SI号を追航監視していた第三勇新丸が、02:03(日本時間)に突然SI号ボートの襲撃を受け、 確認されただけでも約10本の酪酸の瓶が船内に投げ込まれた。 SI号はその後(シーシェパードによれば05:30)OV号と合流し、第二勇新丸に侵入した2名の活動家を引き取った。
SI号はその後燃料が乏しくなり、2月2日に再度メルボルンに入港した。 日本政府は豪州政府に対し、SI号乗組員に対する法的措置を求めたが、SI号は補給の後に2月14日に再再度出港し、 わずか10日間で調査船団を見つけ出した。SI号は2月23日に勇新丸を発見し、ボートで襲撃を試みたが、天候が急変して視界が不良になったために失敗に終わった(注8)。
調査船団はSI号を避けて大きく移動しつつ調査活動を続行したが、SI号はそれまでと異なり、離れた場所にいる調査船団の位置を正確に把握して航跡を追って来た(注9)。 SI号は3月2日についに調査船団を捕捉し、日新丸は被害を最小限に抑えるために単独で回避を行った。
注8. シーシェパードによれば、「逮捕状」なるものを持った活動家達を強行乗船させるつもりだったらしい。
注9. シーシェパードによれば、1月17日に侵入した2名が第二勇新丸に発信機を取り付けたとのことであるが、実際には別の手段を用いて調査船団の位置を特定していたと思われる。
日新丸はSI号の追尾を振り切ろうとしたが、3月3日未明に追いつかれた。 SI号は05:37(日本時間)に海賊旗や豪州国旗を掲げ、日新丸のあらゆる警告を無視して舷側数mまで接近し、07:10から08:14の間に酪酸の瓶や粉末の薬包を多数投げ込んできた。 攻撃は5回にわたり、投擲された薬品類は合計100個程度と見られ、このうち少なくとも30個以上が船内に着弾した。 薬品の投擲は、当初は無人の甲板を狙っていたが、5回目の攻撃では船橋付近で撮影記録を行っていた乗組員を狙って投擲を行った。 一連の攻撃で海上保安官(注10)2名、日本鯨類研究所の調査員2名が酪酸の飛沫で目に軽傷を負い、うち海保2名と調査員1名が医者の治療を受けた。 SI号は攻撃を止めた後も、至近距離で日新丸の周囲を走り続けた。
注10. 日新丸には12月30日より3名の海上保安官が乗り込んだ。
SI号は3月3日の襲撃後も日新丸を昼夜追い続け、3月7日に再び攻撃を仕掛けた。 SI号は前回と同様に、12:15(日本時間)海賊旗を掲げた後、日新丸の舷側数mまで接近し、酪酸の瓶(成分不明の液体が入った瓶を含む)及び粉末の薬包を多数投げ込んできた。 攻撃は12:36から13:50の間4回にわたり、薬品の投擲は最初から船内の居住区、船橋及び人間を狙って行われ、海上保安官が1名、成分不明の液体を直接浴びた。 投擲された薬品類のうち、確認されただけで20個近くが着弾した。海上保安官は、SI号に対し数度にわたって無線で警告を行ったが、攻撃が止まないため、音響投擲弾(注11)による警告を計7回行った。
注11. 空中で破裂して大きな音の出る手投げ弾。シーシェパードは、船長のワトソンが胸に銃撃を受けたと主張しているが、無論荒唐無稽な作り話である。
SI号は、3月8日朝にも海賊旗を掲げて日新丸に急接近してきたが、攻撃は行わずにそのまま離れて行き、3月15日にメルボルンに入港した。
昨年と今年に負傷者を出した薬品が、純粋な酪酸であったかは、今後の調査を待たねばならない(注12)が、投げ込まれた数種類の薬品のうち、酪酸は最も数が多く、危険であった。
注12. シーシェパードは、以前は投げ込む薬品を酪酸Butyric Acidとはっきり言っていたが、実際に負傷者を出してからは「腐ったバターで人体に害はない。」と主張している。
1. タンカーと母船の間に入り込み出て行こうとしないグリーンピースのゾディアック。 | 2. 両船の間を走り回るゾディアックと、それを安全な場所から撮影するもう一艇。 |
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3. 両船の間でボートがフェンダーのワイヤーに引っかかってしまった。 | 4. 必死になってワイヤーを外そうとするグリーンピースのゾディアックのクルー。 |
5. 仲間が危険な状態にもかかわらず、もう一隻のグリーンピースのゾディアックのメンバーは笑顔で撮影を続けた。 | |
6. 豪州政府派遣の監視船オセアニックバイキング号(OV号)とボートは調査船団につきまとった。 | 7. 鯨の捕獲作業中でも豪州政府監視船OV号は船のすぐ近くまで来るので、乗組員は危険を感じた。 |
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8. 豪州政府監視船OV号のボート・クルー。 | |
9. 第二勇新丸に薬品弾を投げるシーシェパードの活動家。 | 10. 第二勇新丸乗組員がシーシェパードの妨害に対して放水で対抗した。 |
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11. 第二勇新丸のスクリューを狙ってロープを曳航しながら船首直下を横切るシーシェパードのゾディアック。 | 12. 第二勇新丸に不法侵入したシーシェパード活動家2名を一時拘束した。 |
13. 第二勇新丸に不法侵入したBenjamin Potts (豪)及びGiles Lane(英) | 14. 豪州政府監視船OV号のボートで第二勇新丸から移送されるSS活動家二名。 |
15. 調査母船に接近中のSI号と、それを警戒する海上保安官。 | 16. 調査母船に薬品弾を投擲する活動家。 |
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17. この日投擲された酪酸の瓶や粉末弾は計100発以上であった。 | 18. 衝突寸前の距離まで高速で突っ込んでくるSI号。 |
19. 調査母船に投入された酪酸入りガラス瓶。「警告、飲むな」とかかれている。 | 20. 「死ね、人殺し!」と書かれた粉末弾。 |
21. シーシェパードのスティーブアーウィン号(SI号)に乗船していた日本人女性と思われる活動家。 | |
22. SI号のマストの西オーストラリア州旗の下に、スポンサー(クイックシルバー)の旗が揚げられた。 | 23. 攻撃を止めないSI号に対して海上保安官がVHF無線電話で警告を行った。 |
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24. 人が立っている調査母船の船橋左舷ウィングを目がけて薬品弾を投げるシーシェパード活動家。 | 25. SI号から調査母船船橋左舷ウィング上の保安官(手前)に液体の瓶を投げつけた。 |
26. 調査母船の船首を至近距離で横切り、衝突寸前となったSI号。 | 27. 海上保安官が投げ込んだ音響投擲弾が船橋上空で炸裂し、耳を押さえる活動家たち。 |
28. 音響投擲弾の投入の合間にもシーシェパードの活動家が反撃してきた。 | 29. 飛来する音響投擲弾を見て耳を押さえてしゃがみ込むシーシェパードの活動家たち。 |
(左)酪酸で溶けたペンキが長靴の底に付いた。 | (右)細かく飛散した酪酸瓶のガラス片(右舷ボートデッキ)。 |
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