南極海及び北西太平洋の鯨類捕獲調査の水銀研究について(PDFファイル)
はじめに
日本の鯨類捕獲調査における汚染物質の研究は、南極海で捕獲調査を開始した1987/88年度より行っています。 国際捕鯨委員会(IWC)では、気候変動など地球規模の環境変化に対して世界的な関心が高まったことを受けて、1993年の年次会合において「環境変化が鯨類に与える影響について調査すること」を勧告しました (IWC, 1994)。 日本は、この勧告に対応して、現行の南極海鯨類捕獲調査(JARPA)において、新たに「鯨類における環境変動の影響を解明」を調査目的に追加し、1995/96年度より進めてきました。
JARPAは2004/05年シーズンをもって18年におよぶ調査を終了しましたが、2006年には、IWC科学小委員会(IWC/SC)がJARPAの最終評価会合を開催して、それまでにJARPAで行われた汚染物質の研究成果も審議されました。 ここでは、クロミンククジラに含まれる重金属類及び有機塩素化合物の蓄積動態と経年変化について報告し(Fujise et al., 1997)、評価会合の専門家パネルは、この報告を歓迎するとともに、生態学的研究及び他の南極海の環境モニタリングにも寄与する可能性があるとして評価しました(IWC, 2007)。
また、2005/06年度から始まった第二期南極海鯨類捕獲調査(JARPAII)では、「環境汚染物質が鯨類に与える影響のモニタリング」が主目的の一つに加わりました。 南極海が地球規模での環境汚染の終着点としてとらえ、主な環境汚染物質の放出源となる北半球の海洋との間で鯨類への影響を比較することにより、地球規模での汚染と鯨類への影響評価を行うことが可能となります。 そこで、直帰の課題として、@南極海及び北西太平洋の鯨類における汚染物質の蓄積とその生物過程での変化の解明、A南極海及び北西太平洋の海洋生態系における汚染物質の挙動の解明及び、B汚染物質が鯨類へ与える生体影響の解明を掲げて取り組みました。 2014年には、IWC/SCが主催して、JARPAUの中間評価会合が開催されました。 ここでは2005/06-2012/13年の期間の研究成果を報告し、クロミンククジラ及びナガスクジラの水銀及び有機塩素化合物の蓄積量の経年変化と鯨類への健康影響評価について報告しました。 これら2鯨種の汚染物質の体内蓄積濃度は他の地域と比較して極めて低濃度であることを報告し、これらの個体群への健康影響の可能性は非常に低いことを報告しました。 評価会合の専門家パネルは、これに同意し、南極海における環境汚染物質の研究は、鯨類への影響という観点からは他海域に較べて優先順位が低いとの見解を示しました。
北西太平洋鯨類捕獲調査(JARPN)は、1994年から1999年まで行われました。 この調査の主目的は、北西太平洋に分布するミンククジラの系群構造の解明と摂餌生態の解明です。 IWC/SCでは、同種のRMP(改定管理方式)を適用試験に取り組んでいますが、系群構造に合意することができず、さらなる情報の収集が必要との見解を受けて、同調査の主目的として取り組むことになりました。 このため、一般にはDNAによる遺伝研究が用いられますが、これを補完する目的から、生物学特性値、骨学、外部形態、食性、汚染物質、寄生虫などの多分野からの解明が試みられました。 汚染物質の蓄積は、主たる体内への取り込みが食物に依存しており、調査海域も太平洋沿岸というほぼ同じ海洋環境であったことから、対象海域で系群識別するといった点で有用ではありませんでしたが、汚染物質の地理的分布の違いを利用して、ミンククジラ体内の汚染物質組成の違いからミンククジラ生息域に関する情報を提供するなど、系群識別の補完的な情報提供に寄与しました(Fujise et al., 1997; Nakata et al., 1997)。
2000年から始まった第二期北西太平洋鯨類捕獲調査(JARPNII)では、「鯨類及び海洋生態系における環境汚染物質のモニタリング」が主目的の一つに加わりました(対象鯨種は、ミンククジラ、ニタリクジラ、イワシクジラ及びマッコウクジラ)。 計画の中では、この目的を達成するために、@鯨類における汚染物質(水銀及び有機塩素化合物等)蓄積パターンの解明、A食物連鎖による汚染物質の生物蓄積過程の解明及び、B化学的汚染物質と鯨類の健康の関係の検証の3つの課題を掲げて取り組むことになりました。 2016年にはIWC/SC主催で専門家パネルによる最終レビュー会議が開催され、北西太平洋における鯨類の水銀蓄積レベルには変化がないこと、PCBや有機塩素系農薬等は、世界的に使用が禁止された1970年代以降、海洋環境中のレベルも減少傾向を示してきましたが、2000年以降定常状態となっていることを報告しました。 また、これら水銀や有機塩素化合物の蓄積レベルが対象鯨種の健康に影響を与えるものではないと報告しました。 専門家パネルは、健康影響がないことについて合意しましたが、ヒゲクジラ体内に蓄積している水銀や有機塩素化合物の解析については、年齢などで変動することから、年齢や栄養段階に関する情報等を取り込んだ再解析を勧告しました。 現在のそれらの解析を進めているところで、2019年のIWC/SCに結果を報告する予定としています。
このように、南極海及び北西太平洋の鯨類捕獲調査では、調査開始当初から捕獲対象鯨種の汚染物質の調査研究を実施しており、水銀については、体内蓄積の指標となる筋肉や肝臓、腎臓の分析を進めてきました(表1)。 鯨体に蓄積される水銀量は、生息域の環境汚染の指標にもなることから、これらデータは、外洋域の水銀のモニタリング研究にも貢献しています。 ここでは、これまでの調査研究の一部として南極海のクロミンククジラと北西太平洋のミンククジラについて紹介します。
JARPA(第一期南極海鯨類捕獲調査:1987/88〜2004/05)
鯨類の肝臓中の水銀濃度は蓄積性が高く、加齢とともに濃度が上昇することが知られています(Koeman et al., 1973)。 しかしながら、商業捕鯨時代(1980/81-1981/82)に南極海で捕獲したクロミンククジラでは、20歳を境に減少傾向がみられました(図1)。 これは、20歳以前の個体が成育する期間の栄養環境が良好だったことによると言われています(Honda et al., 1987)。
JARPAで実施した鯨類の肝臓中の水銀濃度は通常の年齢蓄積性を示しており、調査年によって蓄積曲線の形が変化していました(図1)。 さらに、若齢(1〜5歳)グループの水銀蓄積レベルは、年々減少する傾向を示しました。 このような蓄積曲線の経年変化は、摂餌環境の変化を反映した結果であろうと考えられています(Honda et al., 2006)。
JARPAII(第二期南極海鯨類捕獲調査:2005/06〜2013/14)
JARPAの成果として南極海の餌環境の変化が、クロミンククジラの肝臓に蓄積する水銀の挙動に変化を与えていることが分かりました。 そこで、JARPA及びJARPAIIの期間(1987/88-2010/11年)に南極海IV区及びV区(国際捕鯨委員会が設定した南極海でのヒゲクジラ管理海区)で捕獲したクロミンククジラ肝臓中の水銀濃度が年級群毎にどのように経年変化しているか検証しました。 IV区では1988/89年以降、全ての年級群の水銀濃度は低下していました(図2上)。 V区では、15歳以下と26歳以上の年級群の水銀濃度は有意な低下傾向がありましたが、16-25歳の水銀濃度は有意に上昇していました(図2下)。 これらの結果は、餌環境が極めて良好であった1980/81年から1981/82年頃から比べて、1987/88年からの捕獲調査開始以降、徐々にクロミンククジラの餌環境が悪化に転じていることを示しています。 しかしながら、V区の若い成熟個体(16-25歳)の水銀が上昇傾向にあることから、2000年代に入って、V区の餌環境の悪化が収束しつつあることを示しているかもしれません(Yasunaga et al., 2014)。
JARPN(第一期北西太平洋鯨類捕獲調査:1994〜1999)
北西太平洋のミンククジラは、北西太平洋やオホーツク海を主な生息域としているO系群(オホーツク海‐西太平洋系群)と日本海や黄海、東シナ海を主な生息域としているJ系群(日本海‐黄海‐東シナ海系群)と2つの系群があります。 オホーツク海は、この2つの系群が混在する海域であることが分かっています(Goto and Luis, 1997)。 Fujise et al. (2000) は、これら系群判別に汚染物質が利用できないか試みました。 ヒゲクジラ体内の水銀濃度は食性の影響を受け栄養段階が高次であるほど高くなる傾向がある一方で、農薬の一種であるDDTは1970年代以降世界的に規制されているにもかかわらず、東アジア大陸部では依然一部用途に限り使用されていることから、その濃度に海域差があることが知られています。 JARPN の食性研究から太平洋側に生息するミンククジラは主にサンマ及びカタクチイワシを、オホーツク海に生息するミンククジラはオキアミを主に食べていることが分かっています(Tamura and Fujise, 2002)。 ミンククジラに蓄積するこの2つの汚染物質の関係を比較すると(図3)、太平洋沖で捕獲した個体には肝臓中水銀濃度が高い個体が多く、オホーツク海で捕獲した個体には脂皮中DDTが高い個体が含まれており、オホーツク海に来る前の生息域の影響を受けていることが分かりました。 これらのことから、日本近海のミンククジラの系群研究に、汚染物質が役立つ可能性があることが明らかになりました。
JARPNII(第二期北西太平洋鯨類捕獲調査:2000〜2016)
外洋における水銀濃度は、産業革命以降上昇し続けていますが、その変化は極めてゆっくりと進行していることが知られています。 Yasunaga and Fujise (2014) の報告によると、JARPN及びJARPNIIの期間(1994〜2014年)でも、ヒゲクジラ及びその餌生物の水銀濃度に経年変化はほとんど観察されませんでした。 しかしながら,JARPNIIでも最も沖合の海域(9海区:東経157度〜170度)で捕獲されたミンククジラの筋肉中水銀濃度では、経年的な変化が観察されました(図4)。 これは、この海域のミンククジラの胃内容物の調査結果から、主要餌生物であるサンマ及びカタクチイワシ以外にも、水銀濃度が一桁高いシマガツオなども時折捕食することが観察されており、これが影響したものと考えられます。
これは、海水中の水銀濃度が同じ海域に生息していても、摂餌環境が異なると、ヒゲクジラ自身の水銀蓄積レベルにも影響することを示しています(図5)。 従いまして,北西太平洋のミンククジラのように,様々な餌を摂取する鯨種では,この影響を十分注意する必要があります。
さいごに
JARPAIIは2015/16年よりNEWREP-A、JARPNIIは2017年よりNEWREP-NPとして、新たな調査計画をスタートしております。 この新しい鯨類科学調査でも、これまでの捕獲調査同様、鯨類に蓄積する水銀研究を進めていきたいと考えております。
参考資料
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Fujise, Y., Hakamada, T., Aoki, M., Niimi, S., Nakata, H., Honda, K. and Tanabe, S. 2000. An attempt to identify stocks in the western North Pacific minke whale (Balaenoptera acutorostrata.) using the accumulation levels of heavy metals and organochlorines as ecological tracers. Paper SC/F2K/J18 presented to the IWC Scientific Committee Workshop to Review the Japanese Whale Research Programme under Special Permit for North Pacific Minke Whales (JARPN), Tokyo, 7-10 February 2000 (unpublished). 18pp.
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